ながらとストロー

子供の頃、ストローは本物の麦藁を綺麗に切り揃えたものでした。勿論、商品です。束で買うのですが、保存に留意しないと中に黴が生える。使う時は、必ず中空部分を覗いてから吸いました。その後防水処理をした紙製になり、プラスチック製になりましたが、子供時代からストローは病人か赤ん坊が使うもの、またはお上品な風習、というイメージが強くて、飲み物の必需品とは考えていませんでした。

茶店へ出入りできるようになって(大学生以降です)、ミルクセーキにもアイスコーヒーにもストローがつきものであることに慣れました。プラスチック製は出回り始めた当初、やや勿体ない気もしましたが、折れ曲がる製品を見て、便利だなあと納得した覚えがあります。近年、コンビニでは食品を買う客にストローやスプーン、フォークをつけるようになり、時には、要りますかという店員の質問に、要らないと答えたにも拘わらず、無意識で袋へ放り込まれていることがあって、我が家の引き出しには、それらが溢れんばかりに溜まっています。

地球環境のために、とストロー撤廃運動が始まり、ファストフード店では善後策を模索中だとか。ただ食感優先の飲料(例えばフラッペなど)にはどうしても欠かせない、と担当者が頭を抱えているのだそうです。どうしてストロー(レジ袋は有料化運動が始まったらしい)なのか、もっと根本的な、石油製品大量消費の問題に果たしてつながるのか、疑問ではありますが。

ストローが飲料に必ずついて来るようになったのは、ながらの習慣と並行しているのでは、と思います。歩きながら、読みながら、画面を見ながら飲むにはストローが必要だからです。老人はそんな飲み方をすると、誤嚥を起こして命に関わるのですが。