臨床宗教師

東大の臨床死生学・倫理学研究会の公開講演を聴きに行きました。飛騨千光寺住職・臨床宗教師の肩書を持つ大下大円氏の講演「臨床宗教師の人材育成とその活動」です。東大構内はもう暗くなっていましたが、正門から入ると、植え込みの段差がなくなるくらい、公孫樹並木の落葉が積もっていました。

臨床宗教師とは、公共性を担保し、布教伝道を目的とせずに、終末ケアやその介護者・家族の心のケアに当たる宗教者をいいます。2016年には日本臨床宗教師会が発足し、今年の3月から認定資格も出しているそうです(有資格者425名)。欧米ではキリスト教の伝統がありますが、日本社会の宗教的環境に合わせ、宗教・宗派を越えた協同作業として行うことになっています。

講師の大下氏は、東北大震災や御嶽山爆発など大災害の起こった地域や大学医学部、病院などと共に、もう30年以上この活動に関わってきた草分けだそうで、やはり実践現場の人の言葉には、重みと説得力がありました。多職種の連携が必要であること、基本は傾聴であること、苦痛は各人のものであって、当人が苦しむ機会を奪ってはいけない等々、肯けるポイントが幾つもあったのです。

「スピリチュアル」とか「寄り添う」という語は最近、うろんな感じがまつわりついてしまったようですが、本来の意味で、死に直面している人の話を聞き、自らが心底望む生き方・終わり方を自覚できるよう手伝うのが、臨床宗教師の仕事です。宗教者であるが故に、「祈る」という気持ちにも寄り添うことができるのが、他の人と違うところでしょうか。「祈る」ことは願うこと、未来に関わることだ、との言に共感しました。

講演後のフロアからの質問は、看護師・医師・葬祭業などそれぞれ現場で苦心している人たちからの肉声が語られ、時間が足りなくてもどかしい感じでした。