天皇陵

24年も前の、暑い夏の日のこと。八坂系平家物語に関する共同研究で、私は村上學さんと共に、天理図書館へ書誌調査に行っていました。この時季、天理図書館の閲覧は午前中だけだったので、午後からの時間が空き、三輪山の麓を歩いてみたい、と言う村上さんのお供をして、玄賓僧都の庵の跡や、いくつかの天皇陵を回りました。

ある陵の前まで来ると、なぜか水桶と柄杓と、小さな盥(すべて白木造りです)が用意してあり、盥には真新しい杉の葉が敷いてありました。何だろう?2人とも一瞬、記念に杉の葉を持ち帰ろうかな、という気がうごきましたが、事務所まで行って訊いてみると、宮内庁の担当課長が今年の異動で交替したので、今日これから参拝に来るのだという。あやうく失敬するところでしたが(後年、私は最後の職場になった大学の着任式で、このセットを使った手水の儀式を体験しました)、今でも人事異動の度に、こういう儀式が行われていることを知りました。

天皇陵に学術調査が入ることは、望ましいことです。中には、後世の粉飾や伝説が実体でしかなかった、と判明することもあるかもしれません。しかし、新しい学問的発見も多々あるでしょう。興味本位ではなく静かに、始まって欲しいと思います。

あの時、私が村上さんのお供をしたのは、曽我物語諸本を次々に混態本と判定された村上さんの仕事の速さを警戒して、平家物語諸本は事情が違う、と言える人間が従いて行った方がいい、という仲間たちの判断によるものでした。いま、平家物語の諸本発生もまた、混態現象によるところが大きいと判ってきて、その成立事情を説き明かす仕事が求められています。