太平記シンポジウム

京都の日文研で開催された、太平記シンポジウムを傍聴しに行きました。急いで出たので、ガラケーと腕時計を忘れたのに気づきましたが、引き返す時間がなく、不安でいっぱいのまま、深川めしの駅弁(東京駅発の朝食は、これに決めているのです)を買って乗車しました。半径700mの生活が続くと、呆けるなあ、と反省。

藤沢あたりから、大山と富士山が綺麗に見えました。今年は富士山の雪が少ないようです。浜松の養鰻池跡は殆どが太陽光発電パネルで覆われていました。京都駅で下車してトイレに入り、吃驚。空室には◯の看板、ドアを閉めると✕の看板が出るようになっていたのです。どんなサインよりも分かりやすいけど、幼稚園に来たみたいです。

桂川駅には西日本最大というスーパーがあり、ここで¥1500の懐中時計とサンドイッチ(京都はパンが美味しい)を買いました。タクシーに乗り、京都郊外の激変(この辺は一面竹藪だった)の話を聞きながら、日文研へ。初めて来たのですが、中庭を廻って迷路のような建物で、けっこう広いらしい。

シンポジウムには40人くらいの参加者があり、盛会でした。和田琢磨さんの「『太平記』と武家南北朝室町時代を中心に-」は鈴木登美恵・長坂成行両氏の諸本論を中心におさらいして、天正本・永和本の評価を試み、聞き応えのあるものでした。聞きやすく、時間配分も柔軟で、感心しました。

この共同研究は歴史学と国文学の相互乗り入れの必要性を謳っており、その趣旨にはまったく同感なのですが、やはり根本的なところで「史実」「記録性」「なぜ伝え残されたか」等々の立脚点に相違があり、今後の議論を通じて、お互いに少しでもそのことに気づけるといいな、と思いました。

真っ直ぐ行って、真っ直ぐ帰ってきたロケット旅行でしたが、上り列車に乗る前に、日の菜漬を買うことだけは出来ました、車中で呑む京都麦酒も。