源平の人々に出会う旅 第22回「鎌倉・征夷大将軍」

 寿永2年(1183)7月、入京を果たした義仲でしたが、帝位争いで北陸宮(以仁王の遺児)の擁立に失敗します。『平家物語』では、義仲の田舎育ちの粗野な言動が強調されています。

【大蔵幕府・東御門跡】
 いっぽう頼朝は、鎌倉に大蔵御所を建て、着々と地盤固めを進めています。『平家物語』では、10月に、鎌倉にいながら征夷大将軍に任じられたと語ります。史実は1192年なので、これは『平家物語』の大きな虚構の一つです。

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鶴岡八幡宮・源氏池】
 頼朝は、先祖の頼義が勧進した八幡宮を鎌倉の中心に遷します。境内には源平池と呼ばれる2つの池があり、放生会(ほうじょうえ)などに利用されたようです。

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【江の島・奥津宮の石鳥居】
 養和2年(1182)4月5日、頼朝は江ノ島に赴き、大弁才天勧進します。供養を行ったのは、かつて頼朝に挙兵を促した文覚上人です。『吾妻鏡』は、この日に鳥居を建てたと記しています。現在、江島神社奥津宮の石鳥居は頼朝寄進の伝説がありますが、この記事に由来するのかもしれません。

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冷泉為相墓(浄光明寺)】
 扇ガ谷にある浄光明寺の境内には、歌人冷泉為相の墓があります(玉垣水戸光圀の寄進らしい)。『源氏物語』や『伊勢物語』などの古写本には、為相筆と伝わるものが現存しています。その母親で『十六夜日記』の作者・阿仏尼の墓も近くにあります。

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〈交通〉
JR横須賀線鎌倉駅江ノ電江ノ島駅小田急電鉄片瀬江ノ島駅
                        (伊藤悦子)