小春日和

初めて家を買ったのは34歳の時、横浜の青葉台でした。近くに同年代の同業者が3家族もいて、軍記村と称してよく往き来しました。正月には我が家で新年会もしました。しかし1人はアル中で亡くなり、1人は肝炎で亡くなり、もう1人は愛妻が動脈瘤で急死してから心を病み、私は地方へ赴任して、賀状だけのつきあいになってから40年が経ったのです。

昨夜、その1人から電話がかかってきて、体調もよくなったから会おうか、ということになり、「金魚坂」でお茶を飲みました。長女夫妻と同居しているので、金魚は勝手に買って帰ると叱られそうだ、と言いながら水槽を見て回っていました。重い鬱病を繰り返し、ようやくふっきれたのだそうです。つっぱりたがる人でしたが以前よりゆったり落ちつき、現状を受け入れる余裕ができたことが感じられました。ちょくちょく中国へ旅行し、現地に友人もでき、普段は庭いじりや読書で過ごしているそうです。

帰りに、後楽園の紫蘇梅を買いに行くと言うので、春日町まで、墓守や読書の話をしながらぶらぶら歩きました。汗ばむほどの小春日和でした。『三国志』を読めば日本の軍記が、『金瓶梅』を読めば近世の人情本がよく理解できる、厳密な出典ということではなく、共通基盤のようなレベルで、と言っていました。村上學さんや大曽根章介さんも同じようなことを言ってたっけ、と相槌を打ちました。自分の遺骸は河の魚どもに食わせよとか、ひさご1つも所有するのは面倒だ、とかいう気持ちは年を取るとよく分かるね、別に聖(ひじり)のようにえらくならなくても、そういう気持ちになるもんだね、という話もしました。

後楽園前で別れ、私は(明日が母の命日なので)、黄色と白とオレンジの、大きな花束を買って帰りました。