この季節、栗が食べたくなります。子供の頃は栗剥きを手伝わされました(栗剥き、豆剥き、もやしの髭根や絹さやの蔓取り、小豆や米の選り分けなどは子供の仕事でした。当時は、配給米に小石や虫が混じっているのが当たり前だったのです)。季節ごとに炊き込み御飯を食卓に出す習慣があって、我が家の栗御飯は白米と塩だけのシンプルなものでしたが、却って栗の甘さが引き立ちました。栗は外皮を剝いても渋皮が厄介。爪が割れたりする、辛い作業でしたが、後年、軽く火にあぶってから剝くと簡単なのを発見しました。大人になってからは、むき栗を鶏肉と一緒に煮ると酒肴にも総菜にもなるのを知り、毎年1回は試みます。今年もそれを肴に、八海山を味わいました。

都市部に突然、梅や栗の畑があるのを見かけるのは、農地(果樹園)として申請して、税対策を講じるには、この木が最も手がかからないからだと聞いたことがあります。最近は、地下興しとして栗を生産する地域が増えました。

岐阜に栗きんとんの銘菓があります。日持ちしないので、製造元が限られます。瀕死の床にあった父(点滴で栄養を摂っていました)の口に、すやの栗きんとんを入れたところ、普段は食物の美味い不美味いを言わない彼が、感に堪えたように「ああ、美味しい」と言い、それが明確に意思表示をした最後の言葉になりました。

なかなか、すやの栗きんとんを買いに行かれませんが、せめて上質のモンブランでもどこかで買い求めよう、と思うこの頃です。