列叙の表現史

佐倉由泰さんの「中世の列叙―世界を表象する知の祝祭―」(「文学・語学」222号)を読みました。『新猿楽記』『遊仙窟』『玉造小町壮衰記』『三教指帰』『雲州往来』『桂川地蔵記』『大塔物語』『長倉追罰記』『文正記』『曽我物語』『天正記』『堤中納言物語』『枕草子』などを挙げ、列叙(同格のさまざまの言葉を次々積み上げていく表現法)の表現史をめざして、その機能を考察しています。

佐倉さんの論文はまず自分自身が楽しそうで、ときどき逸脱する傾向もありますが、それぞれの作品の核心を衝く読み、雰囲気を掴む勘にはたしかなところがあります。『新猿楽記』の喧噪と祝祭的躍動を指摘するあたりは、面目躍如というところでしょう。『今昔物語集』巻28第27話についてはやや我田引水の観あり、と感じました。

列叙の目的・機能を、学びと遊びを兼ねたもの、言葉と事物と世界のしくみを有効に伝えるものととらえています。私は最近、平家物語の文体のリズムを考えるのに列記の方法を取り上げたことがあったので、興味ふかく読みました。

この論文は未だ、列叙という観点から表現史が可能か、という試行の段階だと見受けました。時代を超え、語り物や唱導を視野に入れて、と自ら記しているように、今後の続考が勝負になるでしょう。

例えば、『太平記』は「行装」の記述が特徴的で、平家物語の列叙とは異質の賑やかさがある、と指摘していることには、共感と共に、はやく具体的に論じて欲しいなあ、と思いました。待望しています。