子馬鹿

9月になりましたので、ヘッダーを秋仕様に替えました。昭和12年の晩夏の日付がある、色鉛筆のスケッチで、親の家を処分した時に出て来た1枚です。南瓜、西瓜、トマト、昔の野菜はこんなに小さかったのです。亡父は絵を描くのが好きで、子供の頃、日曜日の匂いといえば、煙草をふかしながら彼が描く油絵の具の匂いでした。親馬鹿ならぬ子馬鹿を言うようですが、特に習ったわけではないのに若い時の絵には力があり、後年の絵には速描きの面白さがあります。

厭なことがあると、黙ってスケッチ帳か画架に向かっていました。戦地でも市場に画架を立てて、軍服のまま写生していたそうで、黒山の人だかりだった、軍人でもあんな度胸のある人はいない、と一緒だった経済人から言われましたが、鈍感だったのでしょう。巻いたキャンバスのまま持ち帰ってしまってあった中から、何枚か選んで、額縁屋で張って貰いました。うち数枚は『明日へ翔ぶ』(風間書房)の口絵に、載せてあります。日本へ呼び戻された時に、揚子江を下る船上から連続スケッチした画帖も残っています。

総理官邸や永田町のスケッチもあって、恐らく大臣待ちの間に描いていたと思われます。出張先の速描きは、線描だけも多いのですが、本人には当時の記憶が蘇るらしく、気に入っていました。晩年、独りで外出出来なくなってからは、写真を見て描いたりしたものもあって、それは挿絵風の面白さはあるものの、いまいち臨場感に欠けます。

召集されて練兵場で匍匐訓練しながら、眼前に咲く竜胆を、メモ用紙にスケッチしたりして妻に送った束があるのは知っていたので、あれは遺しておいてね、と言ったのですが、夫婦でやりとりした手紙は1箱とってありましたが、スケッチの紙片はありませんでした。今後、あの2人の達筆書簡(小うるさい家族に読まれないために、ときどき英文交じり)の山を解読・整理することを思うと、古文書解読よりも難事業です。