貝になる

TVで初めて反戦を宣言したドラマとして記憶されているのが、TBSの「私は貝になりたい」(1958/10/31放映)でした(私にはそう記憶されているのです)。翌年劇場版もできました。私が観たのは劇場版だったかそのTV放映だったか、コメディアンだったフランキー堺が、口下手で気の弱そうな主人公にぴったりでした。

いそいそと生業に励む小さな床屋の親父(チャップリンの「独裁者」が連想されます)が、二等兵だった戦時中の行為を咎められ、BC級戦犯として言い開きもできずに死刑になる。刑場へ引かれていく途中で、囚人たちが「元気でね」と声をかけるシーンは忘れられません。そして被さるモノローグ―今度生まれ変わるならば、私は深海の貝になりたい。

当時の技術では未だVTRが使えず、前半が一発撮りのフィルム、後半はスタジオからの生放送だったことを知りました。勿論白黒です。その後、所ジョージ中居正広の主演でリメークされたそうですが、私は関心が持てず、視ていません。脚本家橋本忍の名前は以後、記憶に残りました。「羅生門」や「鰯雲」「砂の器」など数々の名作を出し、黒澤明松本清張横溝正史の名と共に一世を風靡しましたが、あの白黒の「私は貝になりたい」が代表作だったと、今でも思っています。

BC級戦犯の刑執行にはかなり理不尽な例が含まれ、食糧難の時代、苦心して手に入れた牛蒡を捕虜に食べさせたら木の根と誤解して虐待とされた、という話もありました。家族たちも減刑を求めて、あらゆる苦労を重ねたようです。脚本の方は、原作者の権利を主張した人物との間に確執があったり、黒澤明に辛口の批評をされたり、その後の60年間には、いろいろなことが起こったのでした。