源平の人々に出会う旅 第19回「加賀・篠原合戦」

 寿永2(1183)年5月に倶梨伽羅峠で惨敗した平家軍は、加賀国へ退きますが、源氏に追撃され、篠原で激戦となります。

【多太神社(小松市)】
 平家方の斎藤別当実盛は、老武者と侮られまいと、白髪を墨で染めて戦場に臨みました。多太神社には義仲が奉納したという実盛の兜があり、松尾芭蕉が「むざんやな甲の下のきりぎりす」と詠んだことで有名です。覚一本『平家物語』には、倶梨伽羅合戦後、義仲が多田の八幡に蝶屋庄を寄進したとあります。

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【首洗い池(加賀市)】
 源氏方の手塚太郎光盛は、不審な敵を討ち取ったと義仲に報告します。樋口兼光の進言で首を水で洗わせると、墨が落ちて白髪が現れ、実盛の首と判明しました。八坂系の『平家物語』は、「なりあひの池」で洗ったとします。

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【宇佐八幡神社松任市)】
 諸本によって異同はありますが、義仲は白山に横江庄を寄進しています。横江町にある宇佐八幡神社は、義仲が富樫一族の横江七郎に造らせたとの由緒が伝わっています。

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安宅の関跡(小松市)】
 この付近は『義経記』の舞台でもあり、義経伝説が数多く存在します。特に有名なのが歌舞伎「勧進帳」の安宅の関でしょう(画像は左から義経・弁慶・富樫介)。もとになった能「安宅」は、前回に触れた「木曽」と共に、能楽の"三読物"の一つです。

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〈交通〉
多太神社・安宅の関跡:JR北陸本線小松駅、首洗い池(篠原古戦場):加賀温泉駅
宇佐八幡神社JR北陸本線野々市駅
                           (伊藤悦子)