中世文学の領域

必要があって『谷山茂著作集』(角川書店)を読んでいます。「中世和歌とその風土」や「中世の美学・美意識」など、現代の国文学研究が敬遠しているかに見える、大きく時代やジャンルを把握し、ときには蛇行や佇立を厭わず考察を進めていく文章です。

新古今集』と平家物語のような、隔絶した性格をもつ2つの作品が存在するところに中世という時代をみようとし、そこにある戦争の影を無視してはなるまいとする姿勢―谷山さんの場合は、太平洋戦争は同時代のできごとだった―に目が留まります。

というのは、偶々前田雅之さんの『なぜ古典を勉強するのか』(文学通信)も読み進めていて、その中に「古典・和歌は平和の産物ではない」(初出2017/7)という文章が入っていたからです。本書は前田さんがこの10年ほどの間に、雑誌「表現者」に連載した文章を中心に編んだもので、日来、晦渋・長大な文章家として知られる著者には珍しく分かりやすい評論集です。威勢のよさは相変わらずで、少々乱暴な論もありますが、元気の出る本であることは間違いない。

昨年末に起業した版元「文学通信」の、第1号単行本でもあります。すでに2冊目を出した社主の言によれば、採算性に留意せざるを得なくなって、サラリーマン編集者時代よりも不自由にはなったが、「でも楽しいです!」とのこと。同慶の至りです。

さて―2つの中世。現在では、覚一本平家物語はむしろ『新古今集』寄りで、平家物語よりもっと向こうに対立軸を立てねばならなくなった、つまり中世文学の領域が、ある方向にぐんと広がった、というべきでしょう。