いずみ通信

木戸裕子さんの「大江匡衡の晩年と杖」(「いずみ通信」44)という小文を読みました。赤染衛門が、61歳で亡くなった夫匡衡の遺品を見て詠んだ追悼歌「独りしていかなる道に惑ふらん千年の杖も身に添はずして」を引き、詞書にある「せんざいの杖」とは、六十賀に贈られた白木の杖だったかと推測しています。当時は、『礼記』に基づき八十賀に銀の杖を贈る習わしがあったことを述べた後、杖は老年だけでなく隠士の象徴でもあったとして、彼の個人詩文集『江吏部集』では理想的な隠士の生活を、〈長寿の藤を杖として、せせらぎにたわむれながら〉(原漢文)と詠じている(『白氏文集』を典拠に、障子絵に合わせて、30代半ばで作ったらしい)ことを指摘しています。そして追悼歌から、遺された赤染衛門の悲しみをしみじみと推察しています。

この頃杖を使うようになったこともあり、私は面白く読みました。日本工業倶楽部では、今でも80歳の会員に、銀製の鳩の頭部を飾りにつけた杖(「鳩の杖」といい、鳩は嚥下に悩まないとされて長寿の象徴)が贈られます。我が家にもありました。しかし杖が隠棲の象徴でもあったのなら、英国紳士のステッキのように、知識人にとっては一種のステイタス・シンボル、憧れでもあったのでしょうか。

本誌には田中草太さんの「変体漢文、どう読むか・なぜ読むか」が、日本史と日本語学とでは、変体漢文を読む目的と読み方が異なることを取り上げていて、変体漢文を扱わざるを得ない軍記物語研究者として興味を惹かれました。また山上登志美さんの、松林靖明さんへの真情溢れる追悼文も載っています。