怒る西行

伊東玉美さんの「「怒る西行」説話の背景」(「西行学」第8号)を読みました。説話の主人公になることの多い西行ですが、『古今著聞集』494話や57話、『発心集』巻6ー5話、『今物語』42話など、現実と自らの抱くイメージとが食い違って憤慨する西行を描く説話がいくつかあり、それらを「怒る西行説話」と名づけて考察したものです。

西行のみならず「怒る」出家者の説話はほかにもありますが、「怒り」は出家者にはふさわしくなく武士に期待される行動であり、武士の出身で出家者となった西行にまつわる話柄として中世人の心をとらえても不思議ではない、と伊東さんは言います。また中世人の想い描く出家者の望ましい姿を①俗を捨て去る ②俗を受け入れながらも自らは精進する  ③俗もまた仏道の契機とする の3種に分類し、それらの例を含む中世説話のマトリックスを描いています。

捨てがたい、あるいは捨ててはいけないものを背負い続ける生き方を、「怒る西行」説話は象徴しているのではないか、その価値観は『発心集』と共通しており、そういう西行観形成の牽引役に『発心集』が一役買ったかも知れない、と結んでいます。才気煥発な伊東さんらしい、愉快な論文です。

西行は没後あまり間を置かずに説話の主人公となり、中世・近世を通じて多くの説話を生んできました。西尾光一先生の造語「西行的人間像」は、中世人の憧憬や伝承の動機を論じるキーワードとして有名です。私も大学院の最初のレポート(ちょうど半世紀前)は西行説話で書き、その時解決しきれなかった疑問は今もなお胸中に残り、西行の魅力の一つになっています。