今は未来だ

沖縄慰霊の日の式典中継を視ながら、毎年、平和の詩を読み上げる小中学生の姿に胸を衝かれます。今年は、術後の県知事のやつれた、しかしなお背筋の伸びた姿に粛然とし、まっすぐにこちらを見つめてくる中学3年生の迫力に気おされました。

学生時代には集会で「沖縄を返せ」と歌いました。学部生の時、沖縄からの国費留学生(未だ沖縄からはパスポートの要る時代だったのです)がクラスメートにいて、よくいろんな議論をしました。思想的にはなかなか一致しませんでしたが、卒業時に「私に手紙をくれる時は、必ず沖縄県と書いてね」と言われたので、その約束は正式に返還される前の6年間、ずっと守りました。

でもこの頃、「沖縄を返せ」と歌ったのはよかったのか、と思うことがあります。沖縄の人たちにとっても、本土復帰は悲願だった、と信じていたのですが、果たしてそれでよかったのか。実際に沖縄へ行ってみると、ここはもう東南アジアだ、というのが実感です。気候風土、植生、料理、音楽、生活の身の回り品、習俗・・・それらは南へ向かって広がっている。日本の防波堤になって払う犠牲が大き過ぎはしないか。

では本土の私たちは、何を我慢すればいいのでしょうか。沖縄の空を飛び交う戦闘機の音だけでも、大抵の日本人には数日でも耐えられないでしょう。外交の力で、日々、危機を潰し、乗り越えていくこと。国の外交だけではありません。民間人の丸腰の外交こそが、日本の顔にならなければいけない。かつて国連にそういう夢を託して、進路を選んだ同級生たちが何人もいました。でも今は―ふつうの生活を送りながら、何が出来るのか。

沖縄の14歳にTV画面から眼を覗き込まれて、「未来は、今なんだ」と言い切られた時、立ちすくんだ自分が情けないと思います。