羊、鋼、そして森

宮下奈都『羊と鋼の森』を読みました。久しぶりに、文学に救われた気がしました。先々週、難しい事業を支えてくれるはずの人物に脚を引っ張られたりして、私もかなり参っていたからです。いい仕事に惚れて、それを助けたくて、自分自身も行く手に道がひらく―その瞬間を描いた場面に、何度も涙ぐみそうになりました。

成人物語ですが、単なる恋愛物語にはしたくない。当分、映画化作品は観ないつもりです。仮名をほどよく混ぜた文体がそもそもの魅力だし、私のイメージでは、主人公は坊主頭の学生服で登場して欲しい。修行僧のような清冽さが彼の真面目(しんめんもく)でもあり、静かな生命に満ちた森の、香り高い風が全編を通して吹き抜けている感じは、映像では出せないと思うからです。

周囲の人物がけっきょく、みんな「いい人」だったり、双子の妹が年令不相応に前向きの子だったり、都合の良すぎるストーリーでもありますが、自分の選んだ道がこれでいいのか、このまま行っていつかはどこかへ着地できるのか、という不安は、誰しも(若くなくても)持っているもの、その感覚のあるうちがつまりは生きて在ることなのだ、と言ってもいいでしょう。中学生以上、高齢者にもお奨めします。

ベテランの板鳥さんのホールでの調律を初めて見る場面。双子の姉和音(かずね)が、決意を以てピアノを弾く場面。天の川を渡す鵲を集める決心をした主人公が、1日限りの純正律に調律する場面。シニカルな秋山さんが、仕事を「ただ、やるだけ」と言い切る場面。和音のために調律をしたことで、主人公にもさらに上方の目標が見えたこと―研究者を目指す人には、他人事とは思えないのではないでしょうか。