そんなつもり

このところ、「そんなつもりじゃなかった」「そんな気持ちはまったく無い」という言訳にうんざりする局面が、遠近ともに多い気がします。じゃどんなつもりだったのか言ってみろ、と問い詰めたくなる、もしくは問い返すのもうんざり、という例も少なくありません。

セクハラは、やった本人の「そんなつもりはない」という言訳は無効だ、ということはもはや常識です。つもりがあってセクハラをしたと認める奴はいない。やられた方が「厭だ」という意思表示をしたのにその行為を続ければ、それがハラスメントであり、被害者の意思表示が鍵なのです。

何の権限も持たない者が「いいお話ですから進めて下さい」と言って、その通り公的資産が不適切な価格で譲渡されたとしたら、そこに重大問題が生じたことは紛れもないでしょう。「そんなつもりで」言ったのでなくとも、そうなる危険を避けるべき立場にあることはわかりきっているからです。

日章旗をローマ字書きにしたタイトルの歌詞は、「そんなつもり」があろうとなかろうと、全くの軍歌です。スポンサーは誰ですか?と訊きたくなる。「優しい母」や「強い父」、「御霊」、「守るべき」などの語彙で、現代の愛国心が歌えますか?愛国心と死のイメージが結びつく感覚は、2018年の日本人にふさわしいですか?

その場で言うべきでない自分の愚痴をあたかも正義のように発言して、反撃されたら泣き、「そんなつもりで使った言葉ではなかった」と弁解する職業人に振り回されたこの1週間ー上記のような国家の大事に比べれば些細なことだと諦めがつくほど、私も器量が大きくない。根は同じ、覚悟もなく自分を誇大評価したかったのではないかしら。