戦後近松研究史の一側面

先輩の原道生さんから抜刷を頂きました。「戦後近松研究史の一側面(その4)―「近松の会」を中心に-」(「近松研究所紀要」28)という連載です。いわゆる歴史社会学派の旗手の1人だった広末保の軌跡をたどり、その点検と再評価を試みるもの。

鳥取大学に勤めた時は中・近世担当でしたし、名古屋・宇都宮では古典日本文学は1人ポストだったので、高校教材に採られるような近世文学の本文はだいたい揃え、研究書も元禄三大文豪と秋成・宣長、それに説経浄瑠璃俳諧仮名草子関係は、一応買ってありました。広末保の『元禄文学研究』『近松序説』もあったはずですが、一昨年、親の蔵書を処分した時に一緒に処分したらしい。本というのは、要らないと思って手放すと途端に、必要になるもののようです。

近松の「女の義理」や、人びとのけなげさからくる封建時代の悲劇については、当時は説得されながら読んだ記憶があります。平家物語が「完了した伝統」で、近松が「完了していない伝統」だという仮説は、現代の平家物語研究はどう受け止めるのでしょうか。古浄瑠璃と平家語りの関係も、今ならどう考えるのか。「民衆」と「ジャンル」という要因を殆ど絶対的なものとして重視する、という態度は現在では賛同されないでしょうね。

本論文の注11に指摘されているように、肝心の主・客が顚倒した誤植がずっと見過ごされるほど、広末始め歴史社会学派の文章は歌いあげ、曳きさらって運んでいく力のつよいものでした。ああいう文章を書きたいと思った人は多いはずです。しかし今や、筆先三寸だけで文学史は構成できません。扇動的でない、でもたっぷりと充実感のある筆致の文学史を、書きたいと思います。