中世文学会

中世文学会2日目に出て、研究発表4本を聴きました。近年は資料紹介に類する発表が多く、仏教・説話・中世どの学会も同じような題目が並び、義務感を掻き立ててやっと出かけるような按配でしたが、今日は、中世文学に向き合おうとする姿勢が明確な発表が多くて、いい発表には会場からもいい議論が出る、楽しい学会でした。

伊達舞さんの「『我が身にたどる姫君』の女四の宮―「はなばな」とした特質をめぐって―」は、「はなばな」という形容を鍵に、物語の構造を母娘関係で読み解いていこうとするもの。母娘関係に注目して、女流物語を分析したのが眼目でしょう。

池上保之さんの「『徒然草』第三十二段考―「その人」の解釈をめぐってー」は、兼好を誘って月を見歩く「ある人」が不意に訪ねた家の主が、さりげなく後を見送った、という、その心づかいの主「その人」は、現在では女性と解釈されているが、近世までは男性という解釈が多かったことを取り上げ、性別や恋愛模様と関係なく兼好は人間一般の問題として書いているのではないかという読みの提案で、分かりやすく面白かったのですが、会場はいまいち納得していませんでした。庭や夜の描写、『徒然草』の用語法などから反論が出ました。

中野顕正さんの「能〈野宮〉における聖俗の転換―鳥居・車をめぐるイメージからー」は金春禅竹作とされる「野宮」について、作り物の鳥居と車によって提示されるモチーフの果たす機能を、詞章の解釈と演出の両面から読み直そうとした発表で、能を専門とするベテラン研究者たちとフラットな議論のできる、面白い内容でした。

広木一人さんの「正徹句を含む「応永二十三年二月二十三日『賦何人連歌』について」は、最近入手した巻子装の絵懐紙の紹介。初めて正徹の名がある、1400年前後の北野天満宮奉納連歌懐紙(もとは百韻か)の発見ということでしたが、私には、連歌の方では応永の頃はそういう時代だったんだなあということが印象に残りました。資料展示も和歌・芸能関係のいいものが出ていました(解題リーフレットがないのは残念)。

終了後、正門脇の藤棚の下で、新たな共同研究の打ち合わせをし、本郷通りの餃子店で「これから3年がんばろう会」をやって帰りました。いい夜風が吹いていました。