一杯の珈琲から

毎朝、一通り家事が終わると、珈琲から仕事を始めるのが習慣でした。仏壇にも上げます。親の世代は、珈琲が青春の思い出につながっているのか、特別な思いがあるようでした。生前、カップに珈琲を注ぐと、「もっともっと!喫茶店のはけちくさくて我慢できない」と縁すれすれまで入れさせました。恩師の市古貞次先生は、私がスプーン1杯半の砂糖を入れるのを見て、「ちょっとしか入れないんだなあ、僕はそれでは我慢できない」と仰言って、何と6杯入れられました。「先生、それじゃ砂糖に珈琲を入れてるようなもんですよ」と申し上げたのですが。戦前・戦中は砂糖が貴重品だったのです。

アメリカ文学専攻の友人が食道手術をした時、カフェレスコーヒーを奨めましたが、美味しくないと言う。1年後、自分が胃腸を悪くして刺激物をやめざるを得なくなり、あれこれ試した結果、ドリップで淹れればカフェレスも香りがあるが、すぐ消えること、インスタントのカフェレスはたしかに美味しくないことを発見。買ってしまった粉末カフェレスは、アイス用にすれば飲めなくはないことも分かりました。

アイスコーヒーは、淹れて冷やして、では手間がかかるので、微糖をパックで買っていたのですが、健診で糖分過剰と言われたのでブラックにし、自分で計って砂糖を入れることにしました。そのうち、タリーズのアイスブラックのボトル入りが最も香りがいいと知って愛飲していたのですが、どうも胃にはよくないらしい。今夏はカフェレス・インスタントでいきます。

紅茶は老婦人がゆっくり飲むのに相応しい。珈琲はさあ一仕事、もしくは仕事の中休みに相応しい。英国と米国のテイストの違いにも似ています。個人の感想ですが。