源平の人々に出会う旅 第16回「長野県・清水冠者」

 『平家物語』には、寿永2年(1183)3月頃、従兄弟である頼朝と義仲の間に不和が生じ、頼朝は軍勢を率いて信濃へ向かったとあります。

善光寺長野市)】
 諸本によって内容が異なりますが、覚一本では頼朝は善光寺に入り、今井兼平と交渉します。参道入口付近には、頼朝の馬の蹄が挟まったという駒返り橋の伝説があります。なお、境内には義経に従った佐藤継信・忠信兄弟の供養塔もあります。

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【箱清水と箱池】
 不和の原因には叔父・行家の行動や武田信光の讒言などがあったとされます。義仲は頼朝との対立を避け、嫡男清水冠者を人質に差し出します。善光寺の背後には善光寺七清水の一つである箱清水が湧く箱池があり、清水冠者の名の由来とも伝わっています。

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【海野宿(東御市)】
 清水冠者の従者に海野・望月・諏訪・藤沢らがいました(海野・望月は滋野一族、諏訪・藤沢は諏訪一族)。このうち海野幸氏は、清水冠者の鎌倉脱走時(『清水冠者物語』『吾妻鏡』)や曽我兄弟の仇討(『曽我物語』)でも活躍します。海野宿付近が海野氏の拠点とされ、近くに横田河原合戦で義仲が挙兵した白鳥河原もあります。

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【金刺盛久歌碑(下諏訪町)】
 篠原合戦で斎藤実盛を討った手塚光盛は、諏訪大社下社大祝(おおほうり)の金刺氏とされます。下社秋宮付近には唐糸(光盛の娘)・万寿供養塔(『唐糸草子』)や、大祝金刺盛久の歌碑(『玉葉和歌集』巻15雑歌2)などもあります。

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〈交通〉
しなの鉄道長野駅・田中駅・大屋駅JR中央線下諏訪駅
                     (伊藤悦子)