73年目の終戦

4月28日はサンフランシスコ講和条約の発効日です。その日、私は9歳でしたが、寝たきりの病人だったので、毎日、新聞を読む習慣があり、いっぱし「今日は日本が独り立ちする日だね」と父親に言いました。喜ばせる心算だったのですが、父は変な顔をして何も言いませんでした。私にとっては、物心ついた時から周囲に進駐軍傷痍軍人や引き揚げ者のニュースが溢れていたので、それらから解放されるような気がしていたのです。

しかし戦地にも行き、戦後の経済復興に奔走していた父には、別の感懐があったのでしょう。ある日何気なく空を見上げて、「あれはどこの飛行機?」と訊いたら、いまの日本に飛行機はない、と見当外れのような、沈んだ答えをしたことも思い出します。

昨日、軍事境界線を越えて首脳会談をする2人をTVで視たとき、今更ながら、半島では太平洋戦争は未だ終わっていなかったのだ、と気づきました。2人きりで対話する場面を視て、同一言語なんだ、と改めて思いました(あんな藪の中で、護衛はたいへんだろうなあ、という妙な感慨も持ちましたが、もともと軍事施設の中ですね)。会談を終えた2人に、兄弟のような慈愛と安堵の表情が見えた気がするのは、勝手な思い入れでしょうか。

思えば日本も、こうならないとも限らなかったのです。他人事ではない。何かと厄介な、怖い国ですが、東西ドイツのように、困難を乗り越えて、ふつうの国になればいいのです。両政府の官僚たちには、そのために渾身の知恵を絞って貰いたい。そして周囲は自分たちの都合でそれを邪魔しないように、声援したいと思います。