アテネ・フランセ

高校から学部1年まで、お茶の水にあるアテネ・フランセの英会話に通いました。当時は小石川林町に住んでいたので、都立工芸高校前でバスを降り、水道橋から坂を登りました。神田川をゆっくりと清掃船が流れ、柳が芽を吹いて、静かで楽しい通学路でした。クラスには、いろいろなタイプのお姉さんたちがいて、下宿へ招んでくれたり、私にかわいい渾名をつけてくれたりしました。

最初の先生はネイティヴの男性で、oftenの発音が独特なのがかっこよかったのですが、真似する勇気はありませんでした。次のクラスの担当はジェイコブス先生といい、陽気でユーモアたっぷりの人でした。入国管理所で収入印紙が必要になり、地下の食堂へ行けと言われ、コックがスープ鍋をかきまぜながら売ってくれたという話や、梅雨時は天候を変えたがる神様に見えないよう折りたたみ傘を鞄にしまっておく、という話をして笑わせてくれました。しかし、当時ミリオンセラーになった英会話の本が、卑俗な言い回しや誤りが多いと著者に抗議し、無視されたり対応が無礼だったりしたのに憤慨してノイローゼになり、とうとう帰国してしまいました。今でもTVで「厚切りジェイソン」を視ると、先生を思い出します。

3人目の先生は日本人でしたが、ある時「20代は若いか?」「30代は?」「40代は?」と質問し、受講生がyesと答えた(その頃、J・ケネディが若い大統領として騒がれていました)ところ、「初老という語は40代ですよ」と(ここだけ日本語で)言われ、うちへ帰って辞書を調べたらその通りだったので吃驚しました。

学部2年からは専門科目が始まり、忙しくなったのでやめました。外国語は、必要があって使い続けないと忽ち忘れてしまうもので、もうカタコトしか話せません。