遊女往生

栃木孝惟さんの「遊女往生―『平家物語』「祇王」の章段を読む―」(「清泉文苑」33~35)が完結しました。2015年度清泉女子大学生涯学習講座清泉ラファエラ・アカデミアで講じられた、栃木孝惟さんの最終講義を書き下ろしたものです。覚一本平家物語の「祇王」を丁寧に、情感たっぷりに読み解いています。作品を注意深く、ゆっくりとたどりながら、ダンディな文体で語り直すのが栃木さんのスタイルですが、その持ち味が遺憾なく発揮されています。

私はこの連載の第1回を読んだ時、清盛への未練にウェイトを置いて、祇王を男性の側から女としてのみ見ている、と不満を持ちました。改めて覚一本で読み直してみると、なるほど3年間の生活から急には抜け切れない女の姿が描かれていることを確認しましたが、さらに、同業の若手にかけた情があだとなる芸人の矜恃との葛藤、母刀自の言葉を尽くした説得、清盛の権力者らしい鈍感さなど、平家物語の人物造型の面白さは、愛を失う女の物語とだけ読んでは味わえないと思いました。

覚一本の説得場面の巧みさについて、また源平盛衰記のこの部分の饒舌さについては、すでに書いたことがあります(『軍記物語原論』3-1、『平家物語論究』2-3)。昨年、芸能の取り上げ方に注目してこの部分を、覚一本と読み本系諸本とを比較しながら講じたこともあり(於民族文化の会 2017/12/24)、いつかは先輩の背中を追いかけて、「祇王を読む」論を書きたいと思いました。