紀州根来寺

根来寺は境内がだだっ広くて寂しかった、という記憶があります。学生時代の紀伊半島一周旅行だったか、その後調査旅行か学会参加のついでに寄ったのか、覚えていません。近年は考古学、日本史、仏教文学など各方面からの研究成果が世に出ています。山岸常人編『歴史のなかの根来寺―教学継承と聖俗連環の場』(勉誠出版 2017)もその一つで、科研費による共同研究のシンポジウムの報告書を兼ねています。

本書を拾い読みしながら、高野山大伝法院との関係、13世紀半頃の根来寺周辺と頼瑜の行跡、中世真言寺院の性格など基本的な問題のありかを理解することができました。この方面に詳しい人からは何を今さら、と言われそうですが、延慶本平家物語が延慶年間、そして応永年間になぜ根来寺で書写・改編されたのか、という永年の疑問を、軍記物語研究の面からどう解きほぐすべきか、方向性を探しあぐねていたのです。

延慶本古態説が永く平家物語研究を囲い込んで来たことの功罪両面については、すでに述べたことがあります(「中世文学」60 2015/6)が、研究者の多くが延慶本を代表本文として使うことに疑問を持たないのは、根来寺という環境での書写・改編作業が、いきなり平家物語の成立に結びつけられたからではないでしょうか。私は現存の読み本系諸本は、成立後それぞれの場で特化した平家物語だ(源平盛衰記は事情がやや別)と考えているので、延慶本についても書写・保存環境と文芸的性格との関係、また中世以降の伝来・流布が、逐次明らかになるのを待望しています。例えば山田孝雄から遡って、延慶本の複数の写本の伝来を調べてみるなど如何でしょうか。