標準服

生涯で制服を着たのは高校3年間だけです。都立の中でも当時は極めつきの進学校、「標準服」だということになっていましたが、私服は許されず、冬にカーディガンを羽織っただけで厳しく追及されました。男子は詰襟のセルロイドの芯が痛い(喉仏が大きくなる頃なのです)と言って、こっそりフックを外しては叱られていました。女子はセーラー服でしたが、ウェストを絞ったり、上着丈を短くしたり、微妙な自己主張をする人もいました。共布のネクタイを独特の形に結ぶのに手間がかかり、朝はせわしい気分でした。

私は当時、脊椎カリエスの後遺症でコルセットを着けていたので、身体の線が出ないセーラー服は、今思えば有難かったのかもしれませんが、袖口の白線が汚れて黒ずむのがとてもいやでした。休日に歯ブラシで部分洗いをしてみたりしましたが、限界があります。殊に初夏には汗をかいても着替えられず、夏服になっても毎日洗うわけにはいかないので、現在なら堪えられないと思います。

伝統ある学校なんだから、と事あるごとに教員が説教するのを聞くうちに、「伝統」とは、殊更言い立てて他人を束縛するのに使う言葉だ、と思うようになりました。今でも褒め言葉として聞く前に、ちょっと構えてしまいます。伝統とかブランドとかいうものは、日々の誠実さの結果であるべきで、目的ではないと思うからです。

その後母校は、高校紛争時代に激しい荒波を被り、帰国子女受け入れ校に特化して、同じ学校とは思えないほど自由な校風になったようです。ネットで検索したら、キーワード首位に出て来たのは、同窓の後輩のブログでした。標準服なんて気にせず楽しく明るい高校生活だったよ~、という内容です。