中世芸能史の研究

必要があって、芸能史のおさらいをしています。最近の沖本幸子さんたちの研究から(本ブログ1/29,2/01参照)遡って、岩橋小弥太『日本芸能史―中世歌舞の研究』(日本芸苑社 1951)、林屋辰三郎『中世芸能史の研究』(岩波書店 1960)までたどりつき、改めて往年の名著の偉大さ―いま最も新しく見える研究も、昭和中期にできた枠組の中で進展してきていることは、平家物語などの場合と変わらないと感じました。

網野善彦さんの研究に惹かれていたこともあり、都立高校や国立大学で人権教育に関わったためもあり、そして勿論平家物語研究に必要だったせいもあって、芸能史関係の本は目につけば買っておいたのですが、ある時期からは校務に追われてツンドクのままになっていました。おさらいしながら、芸能の実態はなかなか具体的には掴めず、ジャンルや呼称の区別が一筋縄ではいかないことが分かってきました。

『中世芸能史の研究』の中に1箇所、誤りを見つけました。「答弁と秀句」について述べた(p368)部分、源平盛衰記の鹿ヶ谷事件の場面で、瓶子が倒れた時に後白河法皇が「当弁仕れ」と命じたという例を挙げていますが、これは長門本・延慶本が正しい(源平盛衰記では後白河法皇はこの場にいない)。私には、どうしてこの語句を源平盛衰記にあると勘違いしたのか(両本を盛衰記と同類の本文だと思ったことは正しい)、ということの方が気になります。本書の書かれた時期には、未だ延慶本よりも国書刊行会本の長門本の方が、よく知られていたのではないでしょうか。国語辞典の大きなものは、よく源平盛衰記から引例していましたが、その際の誤りだったのかも知れません。