演劇

新年早々10代目松本幸四郎襲名公演が行われていることを忘れていて、TVに染五郎義経が映り、えっ、ずいぶん細くみずみずしくなったな、と吃驚し、当年12歳の新染五郎だと分かって2度吃驚しました。ふっくらと、愛嬌が溢れすぎるようだったご本人は、インタビューではすっかり老けてやつれて見えましたが、責任世代になった証でしょう。TVカメラはあまりに何もかも映し出すので、歌舞伎を観るには相応しくないのかもしれません。弁慶の飛び六法はいつも痛快ですが、息が上がっているのが丸見えでしたし、松王丸を演じる白鸚の老いもありありと分かり、ちょっと気の毒な感じがしました。

歌舞伎を観始めたのはいつからだったでしょうか。中学・高校で親しかった友人が演劇好きで、高校演劇コンクールに出場して審査委員から何十年に1人の天才、と言われた人でした。高校時代は放送劇を一緒にやり、内村直也を読み、卒業後は新劇や歌舞伎を一緒に観に行って、ピーターブルックも一緒に読みました。彼女は銀行勤めの傍ら劇団の研修生になりましたが、19歳で見合い結婚、名古屋へ行ってしまいました。新劇とは異なる、歌舞伎の楽しみ方は彼女に教えて貰ったようなものです。

連れ立って歌舞伎座へ行く途中、昭和大通りを信号無視して渡る老人たちの群れを見ながら、私たちもやがてああなるんだよ、酒をストローで呑むのかもね(彼女は酒が強く、三三九度の酒を音を立てて啜ったことを反省していました)、などと笑いながら話したものでしたが・・・その人は、36歳で子供3人を残して亡くなりました。