聖誕祭今昔

英米へ留学していた人の話によると、彼地ではクリスマスが近づくと、ドライフルーツのぎっしり詰まった、日持ちのするケーキを焼いて贈り合うのだそうです。それを切って、泡立てたホイップクリームをたっぷり添えるのが聖誕祭のお菓子。高校生の頃、ディケンズの「クリスマス・キャロル」に出てくるプディングが美味しそうで、どんなものだろうと憧れていましたが、あるレストランで食べたら、ういろうか、蒸し羊羹のような重い菓子で、がっかりしたことがあります。いろいろ種類があるらしい。

子供の頃、我が家ではクリスマスケーキは25日の朝、出されました。当時はデコレーションケーキといえばバタークリームが普通でしたが、苺と生クリームがどっさり載った、千疋屋特注のケーキでした。どうしてもう一日早く出してくれないんだろう、とずっと思っていたのですが、60年も経って気づいたのは、父親の最初の上司は岸信介だったので、毎年、12月24日には夜遅くまで記念の会があったのだ、ということでした。その引出物だったのです。これも家ごとの「戦後史」でしょう。

大学生の頃、アイスクリームケーキが流行った年がありました。地方から来ている同級生たちとお小遣いを出し合って、買ってみました。下宿で食事会をした後、つくづく眺めて、切って、食べました―味は一瞬。

鳥取に勤めていた当時、イブに帰京する飛行機の中で思いがけず、記念品としてクリスマスソングの入ったカセットテープが配られたことがありました。宇都宮に勤めていた時は、自然の豊かなキャンパスで、飾り物の材料には事欠きませんでした。社会人の学生が赤い実のついた山帰来の枝を持って来てくれたので、オナモミの実や菅の穂を足してリースにしました。姫林檎の実を貰った年には、紅葉したメタセコイアの枝に吊して花綱を作り、研究室の扉に掛けましたが、イブの晩、盗まれました。