街宣車

朝から大音量の街宣車が通り過ぎました。昭和16年の記念行動なのでしょうか。

鳥取在勤時代に日教組大会が行われ、隊伍を組んで街宣車がやってきました。うるさくて叶わないが、地元の旅館が潤うならと我慢している、と同僚の若手教員に話したところ、認識不足だと笑われました。旅館に泊まっているのは幹部数人だけで、若い衆は街宣車を布勢運動公園に駐めて、その中で寝起きして飯盒炊さんしている、鳥取で売れているのは蚊取線香だけ、というのです(国体をやった陸上競技場なので、水道などは完備していましたが、煮炊きは禁止されていました)。

それなら我慢することはない、と鳥取警察を電話帳で調べたら、過激派対策課(左翼向けでしょう)というのがあったので、住宅街を大音量で走り回る車は取り締まるべきだ、とどなりこみました。今彼等はどこにいるんですか、と聞き返されました。把握してないのか、とがみがみがみ。翌朝の新聞には、会場に街宣車が突入するのを防ぐためのバリケードに、魚礁(コンクリートで造った岩のようなもの。魚の栖として海底へ沈めて使う)を利用している、すばらしい知恵だという記事が出ました。