紫煙

かつては父親が日曜日に油絵を描きながらふかす煙草の煙は、なつかしいものでした。しかし喫煙の深刻な健康被害が言われるようになり、彼はあっさり煙草をやめました。私も高校教諭になってすぐ教務主任になり、会議で意見が出尽くすまで黙っていなければならない時、煙草を吸ったことがあります。短気な口を塞ぐのにいいので。しかし次第にやめました。その頃国内便の禁煙席に乗ったら、すぐ後ろからは喫煙席で遮蔽もなく、しかもチェーンスモーカーが座り、まる1時間燻され続けたことがありました。羽田に降りた自分が燻製になっていはしないかと思ったくらいです。

父は油濃い料理の後や、肉体労働の後は煙草がうまい、と言っていました。確かにそうらしい。「今日も元気だ、煙草がうまい」というJTのCMは名作だったと思います。あの頃の日本は、懸命に働けば何かがよくなる、と信じることのできた時代でした。

分煙、敷地内禁煙が広く言われるようになった当今ですが、階上の住人が煙草好きで、窓から煙の臭いが一杯に流れ込んでくるのに閉口しています。自分の家の中では吸わずにベランダで喫煙する人たちを、ほたる族と呼ぶそうですが、これもまたれっきとした受動喫煙です。居住者会議で何度も言ったのですが、まるで高校生の隠れ煙草のように、吸う。

土木工事の会社を経営している男性は、休憩時間に煙草をふかしながら談笑することによって作業チームをまとめるので、どんなに体に悪くてもやめられない、と言っていました。そういう事情がある人たちは別にして、晴れた日、気分がいいからと世界中に紫煙を噴き出す快感は、もう諦めるときでしょう。