逆転

高校教諭をしているかつての教え子から、手紙と一緒に先々週の日文協大会のレポートが送られてきました。国語教育部会に参加した出張報告として作成したから、とのことでした。教員養成系大学の国語科教育法担当教員の参加が少なくて寂しく感じた、と手紙にありました。

近年、国語教育に「情報処理能力の向上」が求められる傾向が強まり、果たしてそれだけでよいのかという疑問を持ち続けたい、文学教育には、他者と出会って、自己を客観化する体験をもつことができ、人間や世界を広く認識する機会を得られるという意義がある、このことを大事にしていきたい、と述べています。また新学習指導要領について、大学教員の間では「古典探究」という授業が設置されることに期待する向きもあるのですが、現場教員の眼では「文学国語」を切り捨てて「論理国語」だけになる危惧の方が現実的なようで、はっとしました。

学校教育の現場から疎くなりつつあったことを、改めて痛感しました。大学教員は教員養成以外にも、入試や教科書編纂に関わることで、高校教育に大きな影響を与えるわけで、もっと相互交流が必要ではないかと思いました。

私信には「貴女にしかできないことがあるのだから、ストレスを苦にするな」という意味のことが書き添えてあって、さすがベテラン教師ともなり、私が最近の平家物語研究に一種の徒労感を抱いているのを、見抜いたことを知りました。師弟が逆転したようなものです。

昨夜、知人と呑みながら「この頃は半径700m位の範囲しか歩かなくなった」と言ったら、それでは猫よりも世界が狭いと言われました。いつの間にか、自ら老け込もうとしていたようです。危ないところでした。