叱られ上手

流通・サービス業を中心とする労働組合連盟が、政府にクレーマー対策を講じるよう申し入れた、というニュースに違和感を持ちました。何でもかんでも「お上」に解決を求める風潮は、私たち自身の足元を危うくします。

たしかに、しつこく相手の弱みにつけこんで憂さ晴らしをする人物がいないわけではありません。クレームをつけ始めると人柄が変わったように自ら興奮する人もいます(福岡方言では、そういう状態を「言いかぶる」といいます)。しかし最近、私が手を焼くのは、過失をマニュアルや保険に頼って済ませようとして、却って解決を遠ざけてしまう中年・若手が増えたことです。トラブルが起こった時、どうすれば収まるかの見通しを立てずに、いきなり賠償制度を持ち出したり、どちらに非があるかの議論に入ったりする人間が多いのです。それでは喧嘩を売っているも同然でしょう。

流通業の中間管理職らしい女性がTVニュースのインタビューで、退職者が社会とつながりたくて説教するケースが増えたのでは、とコメントしていたのには苦笑しましたが、初めは叱られ、ころあいを計って謝り、どうすれば許されるかを探る、というのがトラブル始末の定則ではないでしょうか。怒る方が「それでいい」、と言える瞬間を双方が作ること、それが出来なくなったのは、何故でしょうか。

子供の頃から叱られ、叱る経験が少なくなったせいではないか、という気がします。叱られ上手になることが、社会へ出たら必要です。そして叱り上手になることが、つまり大人になることだと私は思っています。