中世の随筆

ツンドクの山を、随筆文学の峯から崩すことにしました。まずは荒木浩編『中世の随筆―成立・展開と文体―』(竹林舎 2014)。随筆文学は最初にジャンルの定義にこだわらざるを得ないようで(軍記物語でも名称にこだわる人たちもありますが)、もともと作者たちの時代にはそんな区分けはなかったわけで、当代の研究者のための問題にすぎず、全員がそれを論じなければならないものだとは私は思っていません。無理に同じジャンルとして包括しなければならぬものでもないでしょう。

この本の圧巻は何と言っても小川剛生「徒然草と金沢北条氏」・松薗斉「漢文日記と随筆」の両編。互いに知らないまま異なる方法で、兼好の伝記について同じ結論に到達しています。学問上の新発見はしばしば、時機が熟したときにこういう偶然があるものらしい。掲載論文はどれも力作ですが、基本的なことを扱った海野圭介「方丈記の装幀とジャンル意識」、三角洋一「『方丈記』は片仮名文で書かれたかを考える」、落合博志「『徒然草』本文再考」が有益でした。殊に絵画資料と文学との関係に苦悩していた私にとって、朝木敏子「記号から物語へ」には、蒙を啓かれました。以下のような指摘には思わずなあるほど、とひとりごちた次第です―注釈という「ことば」の読みから立ち上がった挿絵が、記号として自律的に動き、<参照系の物語>(mamedlit注:伊勢物語源氏物語など、中世人にとっての古典)という「こころ」の側で読み換えられていく。文字テクストの外側に広がる範列的な物語テクストを横断的にスライドしていく絵の側からの読み(本書540p)。

鴨長明に関しては木下華子「『方丈記』論」、伊東玉美「説話集と随筆―『発心集』の場合―」を肯きながら読みましたが、木下さんの『鴨長明研究―表現の基層ー』(勉誠出版 2015)も一緒に読み、大いに楽しみました。和歌文学に詳しいこと、大きな難問に恐れず断定を下して行くところがこの本の魅力です。

磯水絵編『今日は一日、方丈記』(新典社 2013)は、抜群の実行力をもつ磯さんが、長明八百年忌と二松学舎大学創立135周年記念行事とを兼ねて開催したシンポジウムの記録です。当日は長明の生涯の躓きとなった琵琶の秘曲が、S.G.ネルソンさんによって復元、演奏され、私も聞きに行きました。浅見和彦『鴨長明方丈記―波乱の生涯を追う』(NHK出版 2016)は分かりやすいテキストですが、改めて長明ほどその生涯についての情報が多く残っている中世人も珍しい、にも拘わらず分からないことも多い、という事実に注目すると、軍記物語のように作者名が殆ど知られない文学を扱う場合の注意点を考えさせられます。