鼻濁音

高校時代の部活は放送部でした。アナウンスメントの練習ではアクセントと鼻濁音が私にとっては課題でした、我が家は福岡県出身なので。アクセントは、東京でもしだいに一律、平板型に変わりつつある、だから未知の単語はとりあえず平板型で発音しておけばいい、と習ったのですが、現在、外来語がしだいに日本語化していく過程でアクセントが平板化する現象をみて、納得しています。

第二音以下と助詞は原則鼻濁音になる、ということは初めて知り、ngという発音を一心に練習して習慣づけました。後日、これは東国地方(特に江戸)の発音の特徴で、日本語全般の規範とはいえないが、マイクに乗せたときにきれいに聞こえるので、アナウンサーには必須だと知ったのです。

しかしこの頃の歌手や司会者は、全く鼻濁音を気にしていないようです。殊にわざと外国人風に訛った発音で歌う歌手(私には不愉快なのですが)は、ガギグゲゴを強調するかのように際立たせます。先日、山口百恵の息子が歌番で「さよならの向こう側」を歌った時、司会者から、お母さんからの指導があったかと訊かれて、「あの頃の歌は鼻濁音に気をつけた方がいいと言われた」と答えていました。「あの頃の」という限定に、元プロの意気を感じたのですが、同席していた大半の人が鼻濁音を知りませんでした。殊に大衆演劇女形だった男優が初耳だと言ったのには吃驚しましたが、彼の口跡にはかすかに東北訛りがあり、調べてみたところ福島出身なので、自分では意識していなかっただけなのでしょう。

それにしても三浦祐太朗の「さよならの向こう側」は、いい歌いっぷりでした。百恵の面影があり、しかし彼自身の優しさと、歌を大事にする気持ちがあふれていました。同席した森口博子始め女性陣が泣いていたのは、歌に感動するとともに、歌手としてのみならず母親としてもいい仕事をした同性への、オマージュだったかもしれません。