家ごとの「さきの大戦」・配給物資篇

戦後しばらくは配給制度(米の統制)が続き、米は外米が主でした。たまに内地米、大麦(精白してない)や粟、干した杏などもあり、今なら粟も喜ばれたかも知れませんが、我が家では食膳に上らなかったところを見ると、飼っていた鶏の餌になったのかも知れません。外米は米粒が細長くて、赤い縞模様が入っており、ぱさぱさして内地米に混ぜても美味しくありませんでした。手づかみでカレー料理を食べる習慣の国では逆に、日本米はべたついて美味しがられないのです。

同世代ならみんな知っていると思ったのですが、大学時代、山形出身の同級生は外米を知らず、そう言えば博物館で瓶に入っているのを見たことがある、と言ったのでショックを受けました。椰子油が一升瓶で配給されたことがあり、常温でも白く固まって、台所に放置されたままになっていました。

煙草は刻んだ葉が配給され、父は辞書を破いた紙で巻いて吸っていました。布地はべろべろの合繊で、仕立てるのが難しく、私や弟がアラビアのお姫様ごっこをする時のベールになりました。それゆえ今でも化繊は避け、天然繊維100%を購入するのが我が家の習慣です。

戦時中は紙も統制されていて、原稿を揃えていざ出版という時、当局から睨まれると紙が配給されず、出せなかったのです。学界の長老の思い出話に、妙な序文のついた本にはそういう事情があったらしいことを聞かされました。戦後になってからも、GHQの検閲が民間の郵便にも行われ、アトランダムに抜いた手紙を開封して、係官が読んだ後セロファンで封じて配達させました。親族の何気ない手紙がそういうかたちになって届くのを、よく目にしたものです。