家ごとの「さきの大戦」・鶏卵保存篇

うっかりして、冷蔵庫に眠らせっぱなしだった賞味期限切れの鶏卵を捨てようとした時、日頃は用心深い父から、「卵は長持ちするんだから大丈夫」と止められたことがありました。聞き返すと、こんな話をしました―会計将校だった父は、戦地で物資調達に当たっていたのですが、中国人たちは戦局の情報を掴むのが速く、奥地の日本軍の敗色が濃くなると忽ち市場から鶏卵が無くなる。店の裏へ回ってみると、夥しい量の鶏卵を次々割って、白身と黄身とを分け、青竹の節を抜いた筒に流し込んでいる。勝敗が決したら、市場に出す所存らしかった。

じっさい、その時卵を割ってみたところ、孵化が始まって食べられなかったのは12個中の2個だけでした。さすがに生ではなくオムレツにしました。

戦時中、民間の経済人として武漢にいた方の目撃談によれば、父は白昼軍服のまま、市場に画架を立てて絵を描いていたそうです。黒山の人だかりだった、とのこと。その人混みの中にゲリラたちもいたのではないかと、私は思っています。