古事談の解読

松本昭彦さんの「作られた<詩讖>―『古事談』巻二・第21話考―」(「國語國文」4月号)を読みました。『古事談』巻二の頼長に関する説話を、説話集編者が特別な意味づけを附与したと解釈した論文です。私は単純に、気安い男同士のふざけ合いが過ぎて、生真面目・峻烈な頼長はその冗談に乗れず、彼等を非難するにも堅苦しい対句で罵倒した、そのギャップ(頼長の人物像)が説話の眼目だと考えていたのですが、本論文は、保元の乱後の頼長の運命を予言した詩讖を編者が創作し、頼長批判をほのめかしたと推理しています。

時代設定と事件の成立条件の齟齬を史料から裏付けていく推理はとても面白く、引き込まれながら読み進めたのですが、やはり?が残りました。「悪左府」の「悪」は「凶悪の小臣」と同意義と捉えてよいでしょうか。対句の前半は詩讖と読めるでしょうか。

古事談』は狭い圏内の人物の間ではツーカーで解る、そこがまさに面白味の核なので詳しく説明しない、よって現代の私たちには読み解けない部分が多い説話集です。さまざまな読解の試みが研究者たちによってなされていますが、未だ未だ謎の多い作品です。大学院の演習などには最適な教材ですが、全話を通して説明するのは至難の業。宝の山として今後の楽しみにするしかないのでしょう。

同誌には森田貴之さんの「『八幡愚童訓』甲本の漢籍利用法粗描―武内宿祢と北条氏に触れつつー」という論文も載っていて、元寇記事ばかりが有名な『八幡愚童訓』と承久記の関係にも、注意を喚起されました。