石橋山を逃れて安房国に入った頼朝は、千葉介常胤・上総介広常らを召集し上総国・下総国を通って鎌倉に向かいます。そのため千葉県内の頼朝伝説は枚挙に暇がありません。この時の頼朝については『源平闘諍録』や『吾妻鏡』に詳しく記されています。
【亥鼻城(千葉城)と千葉介常胤像】
亥鼻城(千葉市)は千葉氏の居城とされています。頼朝が亥鼻城に入ったことは『千学集抄』(千葉神社で成立した『千学集』の抜粋)などに記されており、常胤がお茶を点てて頼朝をもてなした際に使用した「お茶の水」などの伝説があります。
【七天王塚】
亥鼻地区には牛頭天王を祀る七つの天王塚が点在しています。千葉氏が信仰していた妙見信仰(北極星や北斗七星を祀る。仏教では牛頭天王とされる)にもとづき、七つの塚を結ぶと北斗七星のかたちになるようです。
【葛飾八幡宮】
『源平闘諍録』によると、頼朝は『万葉集』で名高い真間の継橋を渡り下総国府に入ります。その際葛飾八幡宮(市川市)で武運祈願し社殿を改築したという伝説があります。
【駒どめの石】
葛飾八幡宮の境内には、頼朝の馬が前足をかけた痕が付いたという馬蹄石があります。