家ごとの「さきの大戦」・ラジオ番組篇

我が家には大きなラジオがありました。勿論、未だTV放送は始まっていません。私は大本営発表終戦詔勅などは覚えがないのですが、毎日「尋ね人」の時間という番組があったことを記憶しています。ハイケンスのセレナーデという主題曲に乗せて、行方不明の人、助けて貰ったが連絡先の分からない人などへの投稿が延々と読み上げられました。この主題曲は、軽快なのに何故かもの悲しい感じがしたのですが、近年、特急列車の車内アナウンスのオルゴールに使われているのを聞いた時は、ほんとうに軽いメロディだと思いました。

子どもたちが聴いていたのは、夕方の連続ラジオドラマ「鐘の鳴る丘」です。戦災孤児たちが暮らす孤児院の物語でしたが、未だ幼かった私は主題歌だけしか理解出来ていなかったようで、何番も続く歌詞を従姉たちに歌ってみせたりしました。浮浪児とか戦災孤児とか呼ばれた人たちは、その後どうなったのでしょうか。ときどき、各戸を廻って寄付金代わりに文集を売る人がやって来たりしました。私には石川淳の「焼け跡のイエス」の強烈な印象が残っているだけですが、みんなそれなりの老後を迎えることができたのか、厚労省あたりで追跡調査をしたのでしょうか。

「歌のおばさん」という朝の番組もあり、よく歌われたのは「里の秋」でした。歌いやすくしみじみした歌だと思っていましたが、後年、南方に出征した父を待つ母子家庭の歌だと気づき、さらにこれが復員兵の歌として作られたことを知りました。

復興していく日本も、生きにくい社会へ突入していった自分も必死だった昭和を経て、ちょうど砂に磨かれてガラスの破片の角がとれるように、戦争の痛手が見えにくくなっていはしないか。何を語り残しておくべきか。飽食、自由放埒の現代の視点で見誤ってはならないことを、選り抜かなければなりません。