読みから始まる

原田敦史さんの論文を3本読みました。

平家物語富士川合戦譚考(「国語と国文学」8月号)

延慶本『平家物語』壇浦合戦二題(「岐阜大学国語国文学」41 H28/3)

四類本『保元物語』論(「岐阜大学国語国文学」42 H29/3)

3本に共通するのは、自らの眼で読み抜いた作品の基本構想、それに矛盾する要素あるいはそれを強化する改編をとらえることを、作業の中心に据える方法です。しかもその読みのみずみずしさと緻密さは、以前よりいっそう、水準を上げてきた観があります。富士川合戦譚考は昨夏の軍記・語り物研究会で発表されたものですが、頼朝挙兵記事が平家物語本来のもので、語り本はそれを大胆にカットしたのだという成立論にまで踏み込もうとしています。今後、議論が交わされることを待望します。

昨春の論文は、延慶本の壇浦合戦記事中、教経が大童になる記述と遠矢記事とに注目して、延慶本は、義経との対決にこだわる知盛の最期を以て壇浦合戦を閉じる構想を明確化しようとしたのだというもの。やや舌足らずな観はありますが、延慶本の構想を独立させて読もうとする試みは貴重です。古態、原態の問題意識でのみ読まれがちな延慶本もまた、読み本系祖本から分岐して特化してきた履歴をもつはずだからです。

保元物語』の論文は、四類本(金刀比羅本・宝徳本)では暴れん坊源為朝の造型が、保元の乱においては一旦勝者となる兄義朝に対峙して、一族の枠を踏み越えず、新院の権威の下で戦う武士像として整理されていくことに注目し、保元物語の構想と流動展開に向けて立論しています。私もかつて、一類本(半井本)の為朝は「一族の中に己れの位置を収めきれずに挫折するヒーローであり、骨肉の葛藤を描く保元物語のまさしき主人公であった」と論じたことがあった(『軍記物語論究』1-3)ので、興味ふかく読みました。保元物語平治物語は現在、作品論が停滞していると思われるので、議論が盛んになることを期待します。

諸本比較や史料紹介だけでは軍記物語研究は文学らしくなりません。自らの読みに賭けて、そこから大きな問題へ向かっていける胆力と命中力とを養いたいと思います。心は剛に、矢は精兵で。