新盆

従妹の奥沢の家へ、新盆の線香を上げに行きました。東横線沿線は、かつて資料館が戸越にあった時はよく通いましたが、この頃はとんとご無沙汰です。二子玉川は風景がすっかり変わっていました。

従妹は私と同い年、現役バリバリの保険外交ウーマンでした。仏壇の写真は豪快に笑っています。一緒に旅行に行ってもちょっとの隙に居なくなり、探し出すと、ケータイで顧客とやりとりしている、ということがしょっちゅうでした。その代わりバスや車に乗れば爆睡。同年代の友人と3人で三婆と称して、毎年、暑気払いの会、忘年会、そして年一度の旅行に出かけましたが、去年7月の暑気払いでは、麦酒のジョッキを空けるピッチがなぜか遅い。9月には孫と一緒に奥沢神社の御神輿に付いて歩いたそうですが、10月には歩けなくなり、2月初めに癌で亡くなりました。

老年で末期癌と診断されたら、4ヶ月で身辺を片付けられるようにしておかなくては、とつよく印象づけられました。老少不定。無常迅速。気のせいか、この春はずっと、私も胃腸が不調でした。

来月には3人目の孫が生まれるそうで、一家にはゆるやかながら時間が推移して行っていることが感じ取れました。寂しいけど、コレデイイノダ