史実と人物造型

清水由美子さんの「『保元物語』の流動―平基盛の造型をめぐってー」(「中央大学文学部紀要」 119号)を読みました。基盛は早世した清盛の次男で、語り本平家物語では殆ど抹殺された存在ですが、保元物語では、保元元年7月6日、崇徳院に参上しようとする宇野親治を基盛が召し捕る記事が、乱の発端として置かれています(奈良絵本にもこの記事を独立させた「ちかはる」という作品があり、近世初期には注目される記事だったことが分かります)。

清水さんは保元物語諸本でこの記事の異同を確認した上で、未だ若武者の基盛が何故黒ずくめの合戦装束なのか(通常、黒ずくめは豪傑の造型なのです)に疑問を抱き、白のイメージで描かれる重盛に対して、基盛を従・陰の人物とする狙いがあったと読み解きました。あくまで物語である保元物語の創造する「真実」と、事実との間を探究する姿勢を打ち出した論文です。

清水さんは「『平家物語』における多田行綱―「裏切り者」と言われた男の素顔-」(国文学研究資料館研究成果報告「歴史叙述と文学」)でも、行綱の造型を追い、後白河院近衛家とに密接な関係を持った彼の行動は、九条家側の史料には必ずしも事実通りには書かれていないのではないかとしていますが、こちらはもっと入念な追跡が必要でしょう。『愚管抄』の記事にも風説が紛れ込んでいる、とするなら重大な提言です。『愚管抄』そのものの研究、殊に本文批判から始めて欲しい。畢生の課題になるかもしれませんが。