旧同僚

夕方、とつぜん電話がかかってきて、鳥取で同僚だった菅原、と名乗られました。一瞬、間を置いて、思い出しました。三十数年前、助教授同士で研究室が指し向かいだった国語教育の菅原稔さんです。その後鳴門教育大、岡山大と異動して定年になった由(時折噂を小耳にはさんではいました)、今は社会福祉系の大学で1コマ教えているとのことでした。

「リポート笠間」62号を見て版元に電話番号を問い合わせた、文章を見ると研究一筋の昔とは変わったようだ、と言われて恐縮しました。変わったわけではない、教育系の大学で教えた歳月が長くなったので、義務を感じて『ともに読む古典』を出したのだと答えましたが、思い込みの速さは当時のままだなあと感無量でした。

初めての土地、初めての教育学部へ赴任して西も東も判らぬ時に、大変親切にして貰いました。乾児(こぶん)にはならなかったので、むつかしい奴だと思われた(後年、岡山で同僚となった私の後輩に、そう洩らしたらしい)ようでしたが・・・鳥取では、いろいろありましたねえ、という話をしました。

退役して自由になると、旧◯◯という関係のよけいな部分が削ぎ落とされて、つきあい初めの頃のようにすらりと挨拶が交わせることが貴重です。これも人生の締めくくりの一階梯、と言ったら大袈裟でしょうか。