奈良絵本「新曲」

山本陽子さんの「奈良絵本『新曲』挿絵の制作過程を考えるー明星大学本と諸本および『源氏小鏡』を比較してー」(「明星大学研究紀要」25)を読みました。奈良絵本とは、近世初期に京都で作られた手書きの絵入り本のことです。「新曲」は太平記中の一挿話(巻18「一宮御息所事」)を取り出して作られた幸若の台本をもとにした作品です。山本さんは明星大学蔵本「新曲」を諸本と比較し、明星大学本以外は寛永版本「新曲」の挿絵場面選択を踏襲しており、寛永版本が絵本制作過程で挿絵挿入位置を定めるために利用されたと推測しています。

これに対し、明星大学本「新曲」は奈良絵本『源氏小鏡』2種と、同じ工房もしくは共通の絵師によって、一部は合戦物の奈良絵本を参照して制作されたのではないかと想定しています。構図や描法が似ているか否かの判定は案外難しく、たくさんの例を見た上で、偶発的な一致や描く際の定型によるものではないことを証明しなければなりません。その方法を編み出していく必要があります。例えば一致する部分が、本来の挿絵のあるべき姿からは外れている点などが見つけられればかなり確実になるでしょう。

奈良絵本の制作過程には未だ不明な点が多く、殊に私たちは作品別・ジャンル別で考えがちですが、実際の制作現場ではそうではなかったはずで、このような提言がいろいろ出され、検証を重ねられる必要があります。

なお「新曲」単独で絵巻や絵本に仕立てられたものは殆どない、としていますが、國學院大学にも横本1冊(下巻欠)の絵本があります。上巻8図の絵があるので、寛永版本とは別物でしょう。一見をお奨めします。

また明星大学本第13図の典拠と意味は不明としていますが、同じ挿話である室町物語の「中書王物語」や原典の「太平記」が一宮の死までを描くのに対し、幸若は公家一統の御代到来の祝言で終わっているので、このまま読めば栄華と娯楽の一宮邸を示すと見るべきでしょう。あるいは、前半の絵合の場面の錯簡という仮説を立てることも可能でしょうか。