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臨床死生学

東大の死生学・応用倫理センター主催の講演「長寿時代の臨床死生学・倫理学」を聴いてきました。死生学とは、「死生」を一体としてとらえ、人間が死生をどう理解し対処してきたかを考える学問で、その結果を応用して臨床現場で実践する領域が臨床死生学だそうです。会場は医療関係者や宗教学・倫理学の学生などで一杯でした。

1時間半の講演の主旨を端的にまとめてしまうと、点滴や胃瘻などのいわゆる延命治療はやめてもいい、やめた方がいい、ということになりましょうか。会場の多くの共感を得ていたようですが、家族を2人も見送った私としては、現実にはそういう看取りの環境が整っていないのに、怖いなあ、というのが正直な感想です。聴衆を方向づけようとするトークに、生理的反発を感じる瞬間もありました。

現状では、医師がどこまで丁寧に病状を説明し、終末期の患者の意志に寄り添ってくれるのか、また死へ向かっていく当人の気持ちはゆれうごき、不安で一杯(誰でも死へ向かって歩くのは初めての経験)ですが、家族と雖も24時間その気持ちに連れ立っていけるわけではないのに、そういう心のケア(患者と家族との両方)をしてくれる専門家は殆ど傍にいない。

医者にとって、治せないとか、治療を打ち切るとかいうことが敗北としか考えられず、その結果無意味な延命治療がやめられないことが問題なのは同感です。しかし生が個別的であるように、否それ以上に、死も個別的なものです。一律に「方針」とか「基準」とかで決まってしまうのなら、それまでの何十年の人生は水の泡のようなもの。殊に「フレイル(frailty)」という9段階のスケールを導入し、5以上を分岐点とする説には問題が多すぎると思いました。