近松研究史

原道生さんの「戦後近松研究史の一側面(その三)ー近松の会を中心に-」(「近松研究所紀要」72)を読みました。昭和26年夏の日本文学協会総会の報告や雑誌「文学」に掲載された広末保の言説が、戦後の近松研究史に画期をもたらしたととらえ、著書『元禄文学研究』(東大出版会 昭和30)を中心に、いわゆる歴史社会学派の旗手の1人であった広末の仕事とその影響を解析しようとしています。

『元禄文学研究』は去年、若い頃の蔵書を一括処分した時に売ってしまいましたが、永積安明・石母田正西郷信綱らと共に名文家揃いの歴史社会学派の筆頭として愛読したものでした。原さんは、それらの人々にも共通する問題点をいくつも取り上げていますが、中でも近松が「民衆のなかに発見した素朴なひたむきさ」を「封建社会の現実に対して鋭く対立させることによって」悲劇をつくったとし、「敗北の形ではあったが人間性のための主張を」なしえているが故に、民衆の勝利に到らない悲劇文学を高く評価したこと、義理を「国民的英雄の人間性」と不離なものであり、必ずしも「人情に反する反動的要素」とはいえないと広末が論じたことなどは、軍記物語の分野にも通じるものがあります。

歴史社会学派の功罪は、戦後の国文学研究史で無視して通れないものです。原さんのようにゆっくり、流行理論の威を借りずに自分自身の言葉で、検証していけること(誰にでもできるわけではない)が羨ましく思えました。歴史社会学派に憧れ、彼等に育てられた者の手によってその思索を丁寧に洗い出すことが、いま必要なのかもしれない、それこそが供養になるのだという気もしました。が、さて・・・