末っ子気分

2歳年上の従姉と待ち合わせて、横浜のホームにいる12歳年上の従姉の許を訪ねました。先日のプロジェクト終了の女子会で後輩から贈られたシャンパンを、花見酒として持参、3人で今年の桜を見られる慶びに乾杯しました。欧州旅行を重ねてワインにうるさい従姉がとても喜んでくれて、持って行った甲斐がありました。

高級ホテルみたいなホームで、庭には桜と辛夷が満開でした。6時間以上さまざまお喋りをして帰りました。互いに知らなかった生い立ちの話、一族の噂話、老いるということ、断捨離のノウハウ、今の日本社会に漂うきな臭さ・・・私は、久しぶりでいちばん年下の末っ子の位置に座り、こよなく楽な一日だったのですが、帰途、「そういう気分がありありだったわよ」と2歳上の従姉に言われてしまいました。若い時には年長の従姉たちはちょっとけむったかったのですが。

先の大戦」をはさんだ人生を送ってきた私たちの周囲には、庶民の経験したさまざまなかたちの戦争の影響がいまも残っています。12年の幅はぎりぎり同時代人といえるでしょうか。3人は異なる道を歩いてきました。1人は起業家の妻として、趣味の日本画を描きながら社長夫人を務め、1人は夫と共に経営していた幼稚園をたたんで、弟妹の幼稚園を手伝っています。断続的なつきあいでしかありませんでしたが、それでも文化的価値観の共有部分があって、姉妹でもないのに今日1日は末っ子気分を満喫することができました。

それにしても従姉の部屋は、たくさんの犬のぬいぐるみが並んでいるほかは、すっきり片づいています。積み上げた紙や本がないと、こんなに快適な空間になるものなのか―我が家はいつ、こんな風にできるのでしょう。