源平の人々に出会う旅 第4回「滋賀県・三井寺(園城寺)」

 治承四年(1180)、源三位頼政後白河法皇の皇子である高倉宮以仁王の御所へ行き、平家を討つべく挙兵を勧めます。以仁王源行家に令旨を与え諸国の源氏に挙兵を促しますが、早くも事が露見したため御所を脱出して三井寺へ向かいます。


三井寺南院】
 三井寺は南院・中院・北院で構成されていました。以仁王頼政三井寺南院の法輪院に入り、比叡山と南都に牒状(手紙)を出しますが、清盛から賄賂を受け取った比叡山は平家に付いてしまいます。興福寺では最乗房信救が「清盛入道は平氏の糟糠、武家の塵芥」と返牒(返信)を書いて清盛の怒りを買いますが、『沙石集』によると比叡山法師をも罵ったことで南都を追われます。後に信救は木曽義仲の右筆となり大夫房覚明と名乗ります。

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【浄妙坊跡】
 以仁王に加担した三井寺僧には、乗円房阿闍梨慶秀・円満院大輔源覚などの他、橋合戦で活躍した一来法師や筒井浄妙明秀などがいます。三井寺南院には明秀の住坊であった浄妙坊跡が残っています。

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【ねずみの宮(十八明神社)】
 三井寺の頼豪阿闍梨は、白河天皇の命により祈祷で皇子を誕生させますが、三井寺戒壇を建立したいという望みは比叡山の反対にあって叶わず恨み死します。『源平盛衰記』には、頼豪の怨霊が鼠となって比叡山の経典を食い荒らしたため「鼠ノ宝倉」を建立して祀ったとあります。滝沢馬琴はこの話を題材として『頼豪阿闍梨恠鼠伝』を創作しています。

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【弁慶の引き摺り鐘・汁鍋】
 鐘は田原藤太秀郷が三井寺に寄進したもので、武蔵坊弁慶がそれを奪って比叡山に運んだ後、谷底へ投げ捨てたと伝わります。この時弁慶は所持していた汁鍋を残していったそうです。境内の茶店では名物「弁慶餅」が味わえます。

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〈交通〉
京阪電鉄三井寺駅下車
        (伊藤悦子)