横川唐陽、森敦

雑誌「解釈」の1・2月号の研究余滴「半井桃水と横川唐陽」(佐藤裕亮)を読みました。漢詩人横川唐陽(実名徳郎 慶応3~昭和4)は陸軍の軍医を勤め、森鴎外とも交遊があった人です。佐藤裕亮さんにはすでに『鴎外の漢詩と軍医・横川唐陽』(論創社    2016)という単著があり、このコラムは文字通り、その研究の余滴です。横川唐陽の作品は『明治漢詩文集』(筑摩書房)にも収められているそうで、近代日本の知識人たちにとって漢詩文は身近な教養の一つであり、もっと研究が進められていい分野なのですが、未開拓のようです。

同誌には井上明芳さんの論文「森敦「鳥海山」論―読みがたさの生成―」も載っています。森敦が昭和49年、60代(当時は老人の域内だった)で、小説「月山」で芥川賞を獲った時には、発表誌を買って読みました。もう内容は殆ど忘れてしまいましたが、全編に漂う死の気配だけは覚えています。鶴岡の調査旅行のついでに六十里越えのバスに乗り、田麦俣の集落へ行ったこともあります。青空に群れ飛ぶ岩燕、注蓮寺のミイラ仏の迫力は、今もありありと眼に浮かぶくらいです。サンダル履きで月山の途中まですたすた登りましたが、真夏の明るい日差しの中にも次第に路傍仏や呪句を書いた幟が増え、ふと、このまま行方不明になっても不思議ではないような気になり、引き返しました。それまでは芭蕉の「奥の細道」で読んだ出羽三山のイメージだけだったのですが、まったく違う体験でした。